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たかしの日記

24歳無職の日記です。居候中。週2でバイトに勤しむ働き者です。余生を過ごしています。

【速報】たかし氏、自宅に侵入した花粉と鉢合わせ、暴行を受ける

日記

ニュースです。

今朝未明、無職のたかしさんが、自宅に侵入してきた花粉から暴行を受けるという事件が発生しました。

朝、目を覚ますと、鼻に何やら違和感を覚えたというたかしさん。花粉症歴24年の大ベテランであるたかしさんは、すぐにそれが花粉の仕業だと気付いたとのこと。花粉はその後、たかしさんの鼻腔に殴る蹴る等の暴行を加えたということです。

花粉被告は「気付いたらたかしさんの部屋にいた。本能で鼻腔を攻撃してしまった。今は反省している」と証言しており、犯行は計画的なものではなかったと主張しています。

暴行を受けたたかしさんは、ティッシュを取ろうとベッドから降りましたが、そのときに「おるちゅばんエビちゅ 8巻」を誤って踏み、右足を負傷。こちらも花粉被告による犯行ではないかとみて、警察は捜査を進めているとのことです。

 

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犯行に使われたとみられる凶器

 

たかしさんの右足の怪我はすでに完治。鼻腔については、ドラッグストアで一番安い鼻炎薬を服用して治療中とのことですが、強い副作用のせいで三時間もおひるねしてしまったそうです。

 

次のニュースです。たかしさんが使用しているプリティでキュートなおパンツに、何者かが穴を――

電車でポルノを読む方法

意見

障害者100人が健常者に物申す、という番組をEテレでやっていた。出演者の一人である全盲の男性は、電車では点字の本(肉眼では何も書かれていないノートにしか見えない)を読んでいるという。すると、ある日、目の前に座っているおばあさんから、「よく勉強して偉いわね」と言われてしまった。しかし、そんなことを言われると、彼は困ってしまう。差別的な発言だ!とか、そういうことで困っているのではない。

実は、彼の読んでいる点字の本は、ポルノだったのである。

これは革命だ。点字の本ならば、何を読んでいるのか傍目では絶対にわからない。マルキ・ド・サドフランス書院文庫も、周りの目を気にせず読み放題である。

家で読むには飽き足らず、電車で通勤・通学する間にもポルノを学びたいという賢明な諸君。今すぐ、点字の勉強を始めるとよろしい。シームレスにポルノ世界と接続できる輝かしい未来が待っているぞ。

 

点字・点訳基本入門―点字に興味を持ったら、最初に読む一冊

点字・点訳基本入門―点字に興味を持ったら、最初に読む一冊

 

 

たかしさんちのメイドラゴン

労働

労働で一番辛いのは労働ではない。死にたくなるのはいつでも出勤前日の夜である。

もとい、前日の朝からすでに辛い。ひどいときは二日前の昼飯が喉を通らないときもある。前回の就業で何か失敗をしたときなどは、もれなくその状態になってしまう。喉が、キュッ、てなる。だから、いつもより多めに咀嚼しなきゃいけないのだが、そういうときに限って虫歯だったりするのだ。ストレスは時に虫歯の要因にもなるという。これは立派な労災である。労基署への申請もやぶさかではない。

 

maidragon.jp

ところで最近、「小林さんちのメイドラゴン」というアニメを観たり観なかったりしている。小林さんという人間の家にドラゴンが現れて、生活を共にするという話だ。

小林さんは、ドラゴンを見ても、あまり驚かなかった。普通なら、驚く。私だって驚く……と思ったが、しかし、ドラゴンが現れるのがあの日であれば、私でも驚かずにいられるかもしれないのだった。そう、出勤の前日である。出勤前日の私は「とても気分が落ち込んでいる」。だが、この時の「とても」は、あなたの考えている「とても」の数十倍巨大なものを指しているのである。私が「とても気分が落ち込んでいる」と言ったとき、すでに私は人間ではなくなっている。私は座布団になる。布団の上か、あるいは地べたにぺちゃりと横たわり、じっと動かない。呼吸をしているのか、していないのか、自分でもわからなくなるほど、生きた心地をかなぐり捨てるのである。

 

座布団は驚かない。無職の男に上に乗られて、プシューーーッと長めの屁を噴射されても、ビクともしない。屁どころか、おしっこをかけられても、うんこを乗せられても、うんともすんともしないのである。

座布団と化している時の私ならば、と思う。突然、玄関からドラゴンが入ってきても、驚いたりしないだろう。ドラゴンが私の上に座って、部屋を埋め尽くそうかという巨大なうんこをしても、その茶色い塊の下で、私は明日の出勤に震えるのである。

 

サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい   穂村弘

 

シンジケート

シンジケート

 

 

「機関車」はしゃべらないけど「きかんしゃ」はしゃべる

日記

アニメ「きかんしゃトーマス」を見ているとき、視聴者は、蒸気機関車に顔が付いていてそれがべらべらと流暢にしゃべったところで驚いたりしない。なぜなら、そのことについて、「きかんしゃトーマス」内の世界の誰も言及しないからである。あえて触れないようにしているのか、それとも、本当に誰も疑問にすら思っていないのか、わからない。だが、どちらにせよ誰も言わないのだから、こちらから無粋にも突っ込んだりはしないのである。私は空気を読む。ファンタジーと現実が混在している、マジックリアリズム的な世界観のアニメを楽しむためには、尚更それが重要になる。

ところが。

130話「いわのボルダー」で事件は起こった。

線路の脇にある山の頂上に、不自然なほどまん丸な岩があって、近くの山を削っていると、その岩がなんだかこちらを監視しているような気がするという。

そこでトーマスの仲間の一人(一台)「きかんしゃパーシー」が、こんなことを言うのである。

 

「監視、だって? 岩には目がないじゃないか!」

 

どきり、とした。

最初、なんで自分がどきりとしたのかわからなくて、しどろもどろになって、それから、やっとのことで突っ込みのセリフが頭に浮かんできた。

「機関車にだって、目や、口や、鼻なんかないはずじゃないか! 人のこと、というか、岩のこと言えないでしょ!」

しかし、それはこちらの世界の常識をもってしか成立しない突っ込みなのである。やはり、「きかんしゃトーマス」のみんなは、「機関車というものは顔がついていてしゃべるものである」という常識の中に生きているのだろう。だから、あんなセリフを平気で言えるのだ。

しかし私には、パーシーが、つい「世界のひみつ」を口にしてしまったようにも見えた。「パーシー……それは言わない約束だったじゃないか」というトップハム・ハット卿の悲しげな声が聞こえてくるような気がしたのである。

 

というのはすべて妄想である。「きかんしゃトーマス」世界のあれは「機関車」によく似ているが、まったく別のもの、「きかんしゃ」という存在なのだ。「機関車」はしゃべらないけど、「きかんしゃ」はしゃべる。それが真実であって、「世界のひみつ」なんてものは、どこにもないのである。きっと。

 

 

 

「さくらももこ」の服用にはアンチエイジング効果が期待されています

本を読んだ

ちびまる子ちゃんはおもしろい……って今更なに言ってんの、と思われるかもしれない。そう思われるほど、ちびまる子ちゃんは、日本人なら誰もが知っているアニメだ。ドラえもんクレヨンしんちゃんちびまる子ちゃん。国民の三大義務が答えられなくても、この三大国民的アニメなら答えられるって人が多いのではないか。ぼくも、三大義務より三大アニメのほうが自信あるかも……。

最近、ちびまる子ちゃんの作者であるさくらももこさんのエッセイをよく読んでいる。さくらさんのエッセイは、読めば読むほど、救われる。少し気分が落ち込んでいる時でも、さくらさんの文章を読むと、すうっと楽になる。Oh,Jesus...って感じ。

たとえば、こんな文章に出くわすと、心が浄化される。

「それにしても、単に近所にあるラーメン屋なのにあんなにおいしいんだから、よくテレビでやっている行列のできるラーメン屋なんてどんなにおいしいんだろうねぇ。もう想像がつかないよ。きっと想像を絶する味なんでしょうね」(ももこのまんねん日記2011)

なんというか、文章が光って見える気がする。まぶしくて、目が痛い……いや、ほんとに。

たしかに、テレビで紹介されてるラーメン屋の方が、近所のラーメン屋よりおいしいのかも、とは思う。でも、“想像を絶する”味がする、とまでは思えない。テレビのリポーターが「死ぬほどおいしい!」なんて言ったら、ぼくたちは「いや、死ぬほど、は言い過ぎでしょ」と反射的に穿った見方をしてしまう。

しかし、さくらさんは違う。「死ぬほどおいしい!」と言われたら、「食べたら死んじゃうくらいおいしい味って、どんな味なんだろう!すごい!」と受け取るのである(たぶん)。

なんだか、さくらさんが心配になる。詐欺のカモにするにはとっておきの人じゃないか、とか、通販番組なんか見たら紹介されたもの全部買っちゃうんじゃないか、とか。だが、それと同時に、うらやましくも思うのである。

大人になると、「小学生の頃に戻りたい」とみんな決まって言う。ぼくだって戻りたい。やはり、大人になった今よりも、子どもの頃の方が楽しかったと、誰もが考えているのだ。それはなぜか。子どもの頃は、目に映るものすべてに驚くことができる能力を持っていたからである。驚きがない生活は、驚きに満ちた生活に比べて、たいへん味気ない。

ももこのまんねん日記は、小学生の夏休みの絵日記に似ている(いい意味で!)。各話ごとに一枚絵が付いているからというのもあるが、それだけじゃない。どこかへ行ったり、誰かと会ったり、なにか事件が起きたりしたことが、小学生並に純粋な目線で描かれている。「いや、死ぬほど、は言い過ぎでしょ」みたいな、大人的で穿った、味気のない描かれ方はしない。

さくらももこエッセイを読んだあとは、心がずいぶんと若返った気になる。あの頃は良かった……とじじくさい(ばばくさい)セリフをつぶやく前に、ももこのまんねん日記を手にとっては如何か。「さくらももこ」の服用にはアンチエイジング効果が期待されているんですよ(私論)。

 

ももこのまんねん日記 2011

ももこのまんねん日記 2011

 

 

夏目漱石紙幣は平成十九年に役目を終え――

日記

タカシ氏は財布の中身を確認した。五百円玉が一枚、百円玉が二枚、それから……十円玉を数えようとしたところで、タカシ氏は財布を閉じた。むなしくなってしまったのである。

そういえば、とタカシ氏はコンビニでのバイト中のことを思い出した。レジの千円札を確認したとき、数十枚の野口英世氏の中に、一枚だけ夏目漱石氏の姿を確認したのだ。最近ではめったに見かけなくなった。タカシ氏は夏目氏に、おひさしぶりです、と声を掛けたとか掛けなかったとか。真相は闇の中である。

きっと夏目氏は居心地が悪いだろう、とタカシ氏は思った。周りはみんな野口氏である。間違えて女性専用車両に乗ってしまった時のような心持ちなのではないだろうか。

であれば、とタカシ氏は考えた。私の財布においでなさい、と。タカシ氏の財布には野口氏どころか、人の顔が描かれた紙は、一枚も、入っていない。まるで通勤ラッシュ時の下り電車である。あの恐ろしい女性専用車両はないのだ。夏目氏もきっと心地よく過ごされることだろう。

タカシ氏はすっかり軽くなった財布をそっと置き、空腹に耐えるべく唾を飲み込んだ。

ヤバい肉をむさぼる小学生

本を読んだ

 

 

 私が小学生の頃、放課後のおやつは肉屋の焼き鳥だった。肉を売る片手間に、三十円かそこらで売っていたものだが、種類はたくさんあった。私は塩っぱいハツと、衣がふにゃふにゃの唐揚げ串が好きだった。我々小学生一行は近所にある二軒の駄菓子屋よりも、その肉屋の焼き鳥を愛していた。

 だが、ある日、仲間内の一人が、母親から聞いたという情報をリークしてきた。

「ここの焼き鳥って、ヤバい肉を使ってるらしいよ。この焼き鳥を食った一組の〇〇が食中毒になったんだって」

「ヤバい肉」、と聞いて、私はタコ型の宇宙人を切り刻んで加工した肉を想像した。「ヤバい肉」とはそういうものだろう。だとしたら、これまでその焼き鳥を食べ続けてきた私の体は、「ヤバい肉」で構成されているはずだ。それならばスイミングスクールで四年生の私が、毎日のように一年生の子にバタ足で後ろから追い抜かれていることも納得がいく。私の足は周りのスイミングスクール生とは違い、「ヤバい肉」でできているのだ。タコ型宇宙人のクネクネした肉では、力強く水を蹴り出すことなどできない。タコの肉ならばスイスイ泳げそうなイメージだが、タコではなくタコ型宇宙人の肉だから話は別なのだ。たぶん。

 というようなことまで小学生のときに考えていたかどうか定かではない。しかしたしかなことは、噂が広まり、友達が誰もその肉屋で焼き鳥を買おうとしなくなったあとも私はその肉屋に通い詰め、塩っぱいハツとふにゃふにゃの唐揚げ串を食べ続けたということだ。むしろ、「ヤバい肉」というステータスが付与されてからのほうが、焼き鳥を食べに行く頻度は上がっていたように思う。突如として現実に介入してきた「ヤバい肉」という非現実的な言葉が、ほんの少しだけ世界をファンタジーに見せてくれたのではないだろうか。

 その後、噂のほとぼりが冷め、いままで通りの小学生に愛される肉屋の焼き鳥に戻った。そもそも「ヤバい肉」とかいうよくわからない噂に具体的な根拠はなかったのだ。肉屋の焼き鳥はもう「ヤバい肉」ではなく、ただの「鶏肉」になってしまった。

 私は今でも、流行りとは真逆の衣がふにゃふにゃな唐揚げを見つけると、つい買って食べてしまう。硬い衣だと口の中が痛いというのもあるが、「ふにゃふにゃな衣の唐揚げはヤバい肉が使われている」という思いが心の底で食欲に繋がっているのかもしれない。

 

『ぷくぷく、お肉』は色んな作家がお肉について書いたエッセイのアンソロジー。すき焼き率高め。名高い作家ばかりで筆力が高いために、読んでるとめちゃくちゃお腹が空きます。あ、「ヤバい肉」は出てきません。残念。