筆写

書き写すこと。

山本さほ『岡崎に捧ぐ』

小学校の時、給食で「鶏肉の甘辛煮」が出た。これはたいへん美味い。月に一回は出るので、献立表で「鶏肉の甘辛煮」の文字を見つけては待ち遠しく感じていた。

その日は待ちに待った「鶏肉の甘辛煮」の日だった。鶏肉は一人につき一枚配られる。我々生徒は小学生らしからぬ隙の無い連携を発揮して配膳を急ぎ、席についた。みんな「鶏肉の甘辛煮」が大好きだったのだ。

だが、そういう時に限って事は上手く運ばない。

事件は起きた。いつもお日様のようなニコニコでクラスの温度を上げているYくんのお膳に、鶏肉が無かった。

Yくんの鶏肉に一体なにが起きたのか、よくよく観察してみるが、しかし、鶏肉を載せる皿はYくんの前に置いてある。そして、鶏肉がついさっきまでそこにあったと思しき、甘辛汁の痕跡が皿の上に残されていたのである。

我々は騒然とした。一体、Yくんの鶏肉はどこへ消えたのか。

まずYくんのフライングが疑われた。だが、Yくんの口の周りに甘辛汁は付着しておらず、腔内からその匂いを嗅ぎ取ることもできなかった。

誰かの皿に二つ載っているということもなかった。

Yくんの鶏肉はどこにもなかったのである。

我々の捜査は行き詰まった。

その時。

「ポケットだ! 右のポケット!」

サッカーが得意でクラス一のお調子者であるSくんが叫んだ。彼はYくんのピチピチになったジーンズを指差していた。

我々はYくんの右ポケットに一斉に注目した。たしかに、Yくんの右ポケットには異変が起きていた。細かく刻まれた玉ねぎと甘辛の汁が、ポケットの入り口にべっとりと付着していたのである。Yくんの右手のひらも同じ状況だった。

消えた鶏肉は、Yくんのぴちぴちジーンズのぴちぴちポケットにねじ込まれていたのである。

我々は問うた。なぜそんなことをしたのか。君だって「鶏肉の甘辛煮」を共に待ち望んでいたではないか。なのにどうしてこんな残酷な真似をするんだ。

すると、彼は申し訳なさそうに、しかし顔にはいつものニコニコの欠片を残したまま言った。

家に持ち帰って、お母さんに食べさせてあげようと思ったんだ。

だってお母さんは小学生じゃないから、こんなに美味しいものをたべられないんだよ。

我々は何も言えなかった。Yくんの皿には余った「鶏肉の甘辛煮」(運良く欠席者がいた)が提供され、その日の給食は粛々と執り行われたのである。

 

というのが私の小学生時代の、ほぼ唯一といっていい思い出である。もっと時間を掛ければ他にも思い出せるかもしれないが、印象的だったのはYくん鶏肉事件くらいのものだ。

だが、さくらももこさんといい、この『岡崎に捧ぐ』の山本さほさんといい、私の思い出話より数段も濃密な思い出をネタにしたストーリーをぽんぽんと繰り出すのである。まるで去年か一昨年くらいにあった出来事かのように、小学生時代の話を描く。なんなんだその記憶力は。

山本さほさんとは(さくらももこさんと比べれば)年齢が近く、当時のあるあるネタが九分九厘わかって面白いのだが、それ以上にギャグが破壊的に面白い。マンガでここまで声を出して笑ったのは初めて……なんてハードルを上げても、悠々と越えてくる。ほんとだよ?

ということで、山本さほさんの全著作をこれから買いに行きます。じゃあね。

 

岡崎に捧ぐ 1 (コミックス単行本)

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