Sハラの日記

推敲しました

『野球少年の憂鬱』寺山修司

 かつて、寺山修司という打者がいた。寺山はデビュー年から非凡な打撃センスを発揮し、その後もコンスタントに成績を残す好打者だった。

 ところが、寺山は一時も満足することがなかった。彼の求める「究極の打撃」は打率や本塁打数などの凡庸な指標では測れない、至高の芸術品だったのである。その様からプロ野球ファンは彼を「榎本喜八二世」と呼んだ(いや、榎本が「寺山二世」と呼ばれてたんだっけ。忘れちゃった)。

 

 また、寺山は頻繁に活動場所を変えたことでも有名だ。活動場所というのはつまり守備位置のことである。二塁手でデビューした翌年は遊撃手を。その次は三塁手。その次が一塁手。それから外野の三つをいっぺんにやってしまって、その後は捕手と投手を日替わりでやるようになった。守備が打撃に大きな影響を与えることは、守備がからっきしの大砲がパ・リーグに移籍してDH専門になった途端調子を崩すことなどからも知られている。寺山がオールラウンダーになったのも、すべて「究極の打撃」のためであった。

 やがて寺山は、グラウンドの外にいるときも、打席に立つようになった。

 

タイカップは言った。ストライクゾーンは打撃練習外の時でも心の中で画いていなければならない、と。

 その日からわたしと、この立方体とはいつも一緒にあった。  (P.22)

 

 誰かのことをよく知るためには、その人と多くの時間を共にすればいい。寺山は打撃もそれと同じだと考えた。ストライクゾーンのことをもっとよく知りたいと思い、いつでもどこでもストライクゾーンと一緒にいることにしたのだ。

 ストライクゾーンとは何か。もっと言えば、打者にとってのストライクゾーンとは何か。

 それは、打つべきボールを見極めるためのもの、である。 ストライクゾーンに飛び込んできたら、打ち返す。それだけ。とっても、シンプル。

 寺山はいかなる時でも、自分のストライクゾーンを監視した。当たり前のことだ。打者はいつでもストライクゾーンを集中して監視しなければならない。

 満員電車に乗って、誰かのカバンや紙袋、お尻や背中が寺山のストライクゾーンに飛び込んできたら、しっかりと踏ん張り、腰のひねりを効かしてゾーンの外へ押し出した。

 酔っぱらいが飛び込んできたら、同じようにゾーンの外へ突き飛ばす。そうやって寺山は「究極の打撃」を求め精進したのである。

 

 ところで寺山は、今はどこのチームでプレーしているのだろうか。調べたところ、プロ野球独立リーグにはいないということはわかった。メジャーリーグにもいないみたい。中米とかアジアのチームにいるのだろうか。まあ、彼のことだし、野球は続けてるんだろうけど。

 

 たぶん、老年になったら、 わたしはじぶんのストライクゾーンを犬小屋のようにして、中に入って眠るだろう。そして、耳をすましながら、いつかきっと訪れてくるボールのうなりを待ちつづけてやるのだ。(P.23)

 

 

寺山修司詩集 (現代詩文庫 第 1期52)

寺山修司詩集 (現代詩文庫 第 1期52)